助詞の「の」の持つ言語表現について


日本語では助詞の「の」で様々な省略を行っていると思う。
(他にも様々な省略を行っていますが)
多種多様な使い方があるにも関わらず、それを的確に推論できてしまうのはもはや神秘。

  • 例えば
    • 雨の日→雨が降っている日
    • ステロイドの副作用→ステロイドには副作用がある
    • 私の鉛筆→私が持っている鉛筆
    • そこの人→そこにいる人
    • 向こうの家→向こうに建っている家

とあげていけばきりがないのではないかと思う。(多少、文脈依存があるかもしれないが、私のイメージ上)
英語にするとこれらは区別できるのだろうけれど、日本語では大変難しい。
助詞の誤用判定でもこの「の」は曲者だし、アライメントでもこの「の」が表している意味がわからないと的確にはアライメントできない。(少なくとも私はそう考えている)
そもそも、単語が持ち得る動詞というか、名詞と一緒に使える動詞が経験的にわかっているから、こういう推論がなり得るのではないかとも思う。
例えば、「雨の日」を「雨が持っている日」とは考えない。雨は「降る」もので、「の」は状況を表していることになるのではと思う。「私の鉛筆」なんかは所有を表す「の」になる。これも結構面白いと思うのは、人の場合「持つ」という意味合いだけれど、もの(例えばステロイドとか)は「ある・含む」という意味合いになる。擬人化すればもちろん「持つ」になるとは思いますが。

では、この「の」が表す意味がわからないと何がわからないのかと考えると、
例えば

  • 雨の日に傘をさす
  • 雨が降っていない日に傘をさす

の違いがわからないのではないかと思う。
単語のアライメントだけ考えれば同じことを言っていると考えられてしまうのではないかなー。
(雨・日・傘をさす、が同じなので)
ポジネガをとれば解決できるのかもしれないけれど。